《Traveliving》&《Traveling Knitting Machine》in Siem Reap

 “誰にも頼まれていないことをやろう。”
2019年4月19日19時過ぎ。緊張がほぐれつつあるベッドの上で、スマートフォンの画面に表示された言葉。私のSNSのタイムラインに流れてきた言葉である。そうだった。私は今まさにこの状態にいるんだ。緊張感から一気に解き放たれ、自信とも喜びともつかぬ感情で満たされた。誰にも頼まれていないけれど、プロジェクトを遂行するためにここに自主的にやって来たのだった。よし。やってやろう。
 ここはカンボジア、シェムリアップ。私はゲストハウスの6人部屋、2段ベットの上段に横たわっている。数ヶ月前、シェムリアップに来ることを決めた。10年ほど前から途切れ途切れ続けている《トラベリビング》と、5年前から途切れ途切れ続けている《旅するニットマシン》を遂行するためだ。別にどこにいたってできるのだけれど、日常的ではない海外に身を置いたほうが刺激的でがぜんモチベーションが上がる。シェムリアップにしたのはアンコール・ワットに行ってみたかったから。数々の世界遺産を見てきた周りの人々が口々に、アンコール・ワットが最も魅力的だったと言っていたからだった。それに私はとても心配性な性分で、完全なる海外ひとり旅は今回が初めてということで、日本から女性のひとり旅人も多いこの地にしたわけだ。
 私の心配性具合は度を過ぎていると自分でも思う。おまけに面倒くさがりなもので、旅に出る直前には後悔の念も押し寄せる。なんで計画したんだろう、面倒くさくなってきた、お金を盗まれたらどうしよう、連れ去られたらどうしよう…等々。自主的に計画したにもかかわらず、だ。さらにおまけなことには、旅するニットマシンはとても目を引く魅力的なマシンであるがゆえに、持ち運ぶ際に恥ずかしさがないと言えば嘘になる。特に日本国内では、日本人はじろじろ見てくるけれど、話しかけてはこない。ちょっと距離をとって、「あれなんだろう」とひそひそ話している。日本語が理解できてしまうから、そういうのがこそばゆいのだ。
 でももちろん、最早行かないという選択肢はない。半ば事務的にパッキングをしていく。そうでなくとも、旅するニットマシンはロストバゲージや故障防止のために機内持込をするため、空港での分解作業を頭の中でシミュレーションしながら、荷物を受託荷物と機内持込に仕分けしていく。なかなか頭を使う作業だ。
 旅するニットマシンは故障していたので、出発前ギリギリで修理をしてもらった。これまで幾度となく壊れてきたマシン。今回は毛糸スタンドを新調してもらった。スタンドは機内持込時に取り外して、全体をサイズダウンする必要がある。これまでは木製のスタンドで、ネジ留めをドライバーで外す仕様だったが、今回は自分の手のみで取り外し可能な仕様。だがその代わりか、作りに遊びがあり、ケースを転がすために傾けると、毛糸スタンドに設置された毛糸がケースに寄りかかってきて、編機にうまく毛糸が渡っていかない。ケースを傾けすぎないことで防止できるかもしれないが、これはひょっとして、現地でプロジェクト実行不能になる可能性が大である。故障を現地の材料で直しながらプロジェクトを遂行するのも作品のうちなのだが、念のため割り箸、大量のマスキングテープ、輪ゴム、瞬間接着剤を持っていくことにした。

 自宅を出て14時間。シェムリアップ空港に到着した。旅するニットマシンに注がれる数々の視線はもう気にならない。私がどこの国の人間で何者なのか、誰も知らないのだ!と思うと、ただひとりの人間がここにいるだけ、という感覚になっていた。まあ、日本の街中を歩いていたって、誰も私のことを知らないのだけれど…。
 《トラベリビング》は行った場所をニットで包んでいく即興的なプロジェクトだ。どんなモチーフでくるむかはその地で過ごしてみて決めることが望ましい。だから私はカンボジア入りしたと同時に、いつも以上に自分の感受性に意識を向けていた。
 飛行機のタラップを降りた私を、夕暮れのカンボジアは早速刺激した。空間全体がまず赤茶色い。あるいはサーモンピンクともいうべきか。空はちょうど夕暮れだし、飛行場の土や建物がそんな色なのだ。この色合いに南国独特の木々のスモーキーな緑がよくマッチしていた。暑い空気と夕暮れもそうさせるのか、全体的にぼんやりしたピンクとグリーンの組み合わせがとても美しく感じられ、また一層私を南国ムードにさせていた。

 空港にはホテルまでのトゥクトゥクが迎えに来てくれているはずだ。運転手さんが反応してくれたら早速《旅するニットマシン》を遂行したくて、入国後にまず毛糸のスタンドを取り付けてみた。が、事前に試したようにやってみても上手く取り付けられず外れてしまった。落ち着いてやってみる必要があるのか。加えてスマホを現地SIMに交換する手続きにも手間取ったこともあり、どっと疲れ、気分が落ち込んでしまった。運転手さんの元に行くのも遅くなってしまった。暑い中数十分待っていてくれた運転手さんは笑いかけてくれたものの少し不機嫌になっていた。ああ!とても悪いことしたな…。マシンを見て「これはなに?」と聞いてきてくれたこともあり、「あとでプレゼントします」と伝えると、にっこり笑顔を見せてくれた。
 トゥクトゥクに乗ればあとはもうホテルまで無事に辿りつける。そして風が気持ちいい。安心感と過ぎ去っていくカンボジアの景色にちょっと興奮したのとで、落ち込んでいた気持ちもだんだんとほぐれてきた。おっと、ガタガタ揺れる車体からマシンを守らなきゃ。車体の壁もないから走行中落ちてしまうかも!けれど、このガタガタさえ、心地よかった。
 ホテルに到着すると、そこまでにマシンで編まれたニットを運転手さんにプレゼントした。愛車の手すりにかけて記念撮影に応じてくれた運転手さん。ホテル前で待機していた仲間の運転手さんになにか冷かされているようで、明るい笑い声が響いた。空港で遅くなったことを何度もお詫びし、お別れをした。

 部屋に着き、さっそくマシンの組み立てに取り掛かるが、やはり事前にできていた毛糸スタンドの棒が固定できない。明日は1日ツアーに出て持ち出さないのだけれど、落ち着かないのでもうここで棒を割り箸に替えてみよう。お箸を割った時にうまく真っ二つに割れずに太くなった部分が、ちょうど棒を差す穴にはまって固定できた。恐る恐る毛糸をセットして少しケースを転がしてみると、編機もちゃんと回っている。ほっとしたところで外に出て夕食を探す体力もなく、ホテルのレストランで3ドルの麺を食べて22時過ぎに就寝した。麺は美味しくて、もう一杯おかわりをした。
 翌朝、同じ部屋に宿泊する人の物音で目を覚ました。4時過ぎに起きる自分がいちばん早いと思っていたけれど、ここはアンコール・ワットの拠点である街。この時間に起きることは普通なのだ。そう、サンライズとアンコール・ワットの美しいコラボレーションを観るために。1階のフロントには多くの宿泊客がいてこんな朝早くからサンライズ・ブレックファストを摂っている人もいた。今日は私もサンライズから始まる1日ツアーに参加する。終始感性を研ぎ澄まし、シェムリアップの街を感じ、遺跡に関する知識を得て、明日本格的に遂行する《トラベリビング》のモチーフを閃きたい。迎えに来てくれたツアーバスの内部の装飾に、早速私は惹かれた。青を基調に花や鳥が描かれた絢爛な装飾。これはクメールの文様なのだろうか。カーテンの柄や座席の柄に想いを巡らせてみた。

 バスはそこからアンコール・ワットの入場チケット売り場を経由し、30分強でアンコール・ワットのお堀の前に着いた。空はすっかりピンクと肌色と水色のグラデーションに覆われ、お堀の堤防には大勢の観光客が腰掛け、サンライズの瞬間を待っていた。広大なお堀の奥には、写真で良く見るあの三塔が小さく、ギザギザのそのシルエットを浮かび上がらせていた。私も堤防に座ってみた。お堀には手前に蓮の葉が浮かんでいてカンボジア情緒をさらに醸し出していた。いくつかの花が開いているようにも見えたが、視界が暗くてまだその姿ははっきりと見えなかった。
 空は刻一刻と白けてきた。思っていたより変化が早い。6時頃、塔の左側から真っ赤な太陽が顔を出し、みるみると昇ってきた。地球が回っているから太陽が動いてみえる。こんなにゆったりと朝日を見たことがなかったから、そんな当たり前のことを忘れていた。お堀に架かる橋から蓮の花に近づいてみた。ピンクの花がすっと伸び、開いていた。

 今回参加したツアーは日本から申し込んだ日本語ガイド付きのツアー。アンコール・ワットのことを知るためには日本語での説明を必要としたし、広大な遺跡の見所とクメール料理、そして最後にはアプサラダンスのショーを見ながらの夕食、とシェムリアップがぐっと凝縮された充実のツアーだ。参加者は私を含め6人。ツアーで親しくなった女性によると、私たちが行った4月は乾季とこれから始まる雨季の間にある暑季という短い季節。1年で最も暑い季節らしい…。よりによって、ニットのプロジェクトをしにいちばん暑い季節に来た、というわけだ。でも、観光地に日本人が少ないのは嬉しいことでもある。
 朝食を摂りに一旦ホテルに戻り、これから夜9時まで続く長いツアーに備えるべく少し休憩した。そして欧米人の宿泊客が飲んでいるように、1ℓのペットボトルの水を購入してバスに戻った。とにかく外は暑いのだ。水をガブガブ意識的に飲んでいこう。
 そこからの遺跡巡り、ガイドのチョグさんの丁寧な説明に、アンコール・ワットについて予備知識ゼロで来た私は一言一句漏らさんぞ!という意気込みで耳を傾けた。そしてそのうちに、私の目の前と頭の中は石とそこに刻まれたレリーフや装飾でいっぱいになった。とにかく沢山の石の建築物を見た。何十段にも積み重ねられた石、石、石。人力でよくぞここまでやったものだ…。そしてどの石にもヒンズー教や仏教の神様の顔や物語が刻まれ、装飾の洪水であった。表面が平坦な石なんてひとつも見なかったと思う。その執念、忍耐力に脱帽だ。それらが800年~900年もの間、こうして残り続けていることにも驚く。私は頭の中で当時にタイムスリップし、その頃の生活やお寺の建立作業を思い浮かべてみた。悠久な時の流れを逆流してみる作業が大好きだ。

 サンセットを見に移動した道で、私はまたカンボジアンカラーに出会うことができた。土の赤茶色と植物の緑、ギラギラした太陽が暮れた空のスモーキーな色合いだ。左側にある池とそこに佇む現地の人の姿が、より一層カンボジア風情を醸し出していた。

 他のツアー客とすっかり打ち解けた私は、ツアー解散後、唯一もうひとりの女性ツアー客だった方とナイトマーケットに行くことにした。時刻は21時近く。ひとりでは不安だったけれど夜に出かけられるのはこの日しかなかったし、なにより、翌日《旅するニットマシン》を万全に遂行するために、昨夜応急処置したマシンを試験運転しておきたかった。
 同行した女性は私の活動に興味津々で、カメラマンを買って出てくれた。そう、夜の街に繰り出したマシンは現地の人々に大人気だったのだ。こんなに暑い国で、ニットや毛糸を見ることはそうそうないのかもしれない。これは何?と呼び止められたら、私は片言英語で必死にこのプロジェクトについて説明し、ニットを腕にはめてもらって写真を撮らせてもらった。歩いているとすぐに声をかけられるのでニットの長さが10センチ以上になることはなかった。肝心のマシンの調子は、なんとか持ちこたえたものの、やはり割り箸をきちんと固定する必要があったり他にもメンテナンスが必要。明日午前中に落ち着いて直そう。

 ナイトマーケットの隣、シェムリアップ最大の繁華街であるパブストリートに繰り出し、一杯飲んでから私たちは別れた。女性は今後の活動を応援してくれた。結局名前すら教えあわなかったけれど、こんな出会いがあるからひとり旅はいいものだ。
 ホテルに戻り、暗いベッドの上で明日の計画を立てる。明日は19時半には空港にいなければならない。2泊4日の弾丸旅だ。12時のチェックアウトまでマシンの修理と《トラベリビング》のニットを編もう。昼から3時間ほど街歩きしながら2つのプロジェクトを行い、15時からトンレサップ湖のクルーズツアーに参加し、空港へ行こう。このツアーは先ほどの女性ツアー客からオススメされたもの。東南アジア最大の湖と水上生活の様子に興味があったものの、遠いイメージがあって行く予定にしていなかった。しかし日本語ガイド付きのツアーが所要時間4時間とちょうど良く、ツアー当日の朝まで予約可だったため、先ほど急遽予約したのである。ちなみに、ツアーで行くほうが現地でトラブルに巻き込まれず安全とのこと。2つのプロジェクトに6時間充てるには、この暑い中体力的に難しいと感じていたし、方向音痴なことを考えるとあまり遠くまで歩くのは危険で時間を持て余してしまいそうだったので、ちょうどよかった。
 《トラベリビング》は通常編みくるむものを前にしてその場で編むのだが、今回は時間短縮のために事前に用意しておきたい。それに外は暑くてその場でひとつひとつ編むのは危険かもしれない。モチーフについて、今日1日過ごしてインスパイアされたのは、蓮の花とジャスミン、そして黄土色とも金色ともつかぬ色。2つの花は、チョグさんの解説では、カンボジアの人がお寺にお参りする際にお供えするものらしい。蓮の花には来世で幸せになれますように、ジャスミンの花には来世で可愛くなれますように、という願いが込められていて、日本人が神社やお寺でお参りする前に手と口を洗って清めるのと同じような意味合いもあるとのこと。なぜかこの話が心に残っていた。そして黄土色とも金色ともつかぬ色は、バスの車窓から見た街中にたくさんあった色だ。日本でいう祠や神棚のような位置付けなのか、街中の家や店でたくさん見た、アンコール・ワットの塔のような形をした豪華なオブジェの色。柵の先端にこの色の装飾が施されている場合もあった。偶然、この色に近しい色の毛糸を日本から持ってきてもいた。そういえば、チョグさんが着ていたガイドの制服の、女神アプサラの刺繍も可愛かったな。
 翌朝自然にすっきりと目が覚めた。まだ8時前だったと思う。カーテンもない6人部屋だったわけだけれど、疲れていれば案外ぐっすり眠れるものだな。他のベッドではまだ皆眠っているようだ。ゲストハウスに泊まるということはおそらく私より相当若い人たちだし、毎晩遅くまで屋上のプールやパブストリートで遊んでいるのだろう。日中はとてつもなく暑いこの地では、若者はより夜に活動的になるのだと思う。
 とりあえず着替えて顔を洗い、1階で朝食を摂ることにした。昨日美味しかったパンとオムレツのセットを注文。南国らしくバナナとスイカがついてきて、身体の中からフレッシュになれる。こちらのバナナはモンキーバナナで、味が濃厚だ。席に着くやいなや、背後から見知らぬ欧米の女の子に突然「プールはどこ?」と声をかけられた。こんなふうに面識がなくてもフランクに話しかけてくるところが日本人としてはびっくりしてしまう。そして今度は向かいの席。たまたま私は同じアジア人の前に座ったらしい。席に戻ってきた白髪のおじさんが「どこから来たの?」と話しかけてきた。彼は韓国人のギムさん。シェムリアップで韓国人向けのツアーガイドをやっている。お互い片言の英語で楽しく会話しながらパンを頬張った。アジア人の客はその空間に私たちだけだった。
 部屋に戻るとまだ他の宿泊者たちは寝ていた。部屋は暗いが電気をつけるのも悪く、ベッドの上のライトを頼りにまずはマシンの修復。穴に差さっただけの毛糸スタンドの割り箸を毛糸で土台にしっかり固定し、土台もマシン本体からずれないように割り箸の片割れで固定。割り箸、大活躍である。ついでに昨日購入したアンコール・ワットがデフォルメされすぎているステッカーをケースに貼ってみた。粘着力が悪いのかすぐに剥がれてしまったけど、今後はどこか行く度に、こうしてステッカーを貼っていこうかな。

 次に《トラベリビング》のニットを編む。昨日街中でたくさん見た金色に似た色の毛糸で、蓮の花とジャスミンの花を編み、いろんなところに仕掛けていこうかな。ネットで2つの花の編み方を検索して編んでみたがどちらも上手くいかない。蓮の花は大きすぎるし針の太さが糸に比べて太いこともあってだらしのない花になりそうだったので途中でやめてしまった。ジャスミンは、ジャスミン編みという、模様が星のように浮き出る編み方があったのでやってみたが、難解。そうこうしているうちにチェックアウトの時間が近づいてきたので、とりあえず適当なサイズの細編みの輪っかを1こ作り、急いでチェックアウトをした。外はギラギラ、今日も快晴。ホステルのエントランスで、スタッフの人に「これはなに?」と声をかけられた。プレゼンしている間、そばで客引きをしているトゥクトゥクドライバーたちもマシンに注目している。彼らにもプレゼントしたかったが、スタッフより一歩遅かった!バイバーイと言ってホステルを右に曲がった。

 時刻は12時過ぎ。夜はナイトマーケットで賑わっていた通りは人通りがほとんどなく、左側でレンガを崩す工事中の人々が目に入るほどだ。通りに面した飲食店の中もガランとしていて、店員さんが暇そうに外を眺めている。すれ違った人はおそらく100%、3秒間はこのマシンについて考えただろう。それくらい人が歩いていなかったし、実際に視線を感じながら私は歩いていた。同時に私は《トラベリビング》を実行できそうな場所もキョロキョロと探し、先ほど作った輪っかを設置していった。

 そのうちに、昨夜観たアプサラダンスの踊り子の頭の飾りをなにかに被せたくなってきた。あの形も街中で見かける祠と同じく、塔のような形をしていて独特だった。ちょうどお腹もすいてきたので視界に現れた現地料理のレストランに入った。客は欧米人のおじさんただ一人だったけれど、絶対美味しいという確信がなぜかあった。頼んだのは、《トラベリビング》も兼ねてボトル入りのアンコール・ビールと鶏肉のレモングラス炒め。カンボジアに来る前、現地料理は口に合わないと聞いていたのだがとんでもない!これまで食べてきたクメール料理は大概日本の料理に近い味だった。それにタイの酸っぱ辛いテイストもあって、食欲は大いに湧いた。
 レストランは家族経営で、幼い兄妹がマシンに興味を持ってくれた。特に妹の方は目がキラキラと輝いている。料理はやはり美味しく、ビールを飲みながらアプサラの踊り子の頭飾りを編んだ。装飾が盛られていて忠実に再現することは難しかったが、曲線を駆使してなんとか雰囲気は出たと思う。

植物で編まれたレストランの壁には、様々な国の言葉でレストランの感想が貼られていた。いや、つまようじのようなものが編目に差さり、それで固定されていた。「グッドシステムね」と言って私もアプサラの飾りを飾らせてもらった。1時間半ほど、随分長居させてもらった。

 外に出て、また知らない道を進んでみる。途中左に曲がってみた。遠くどこまでも続く道の両側に点々と店や屋台が並んでいるようだ。ただ、観光客が歩くような通りではないらしく、人はいない。こういう道こそ面白い、行ってみよう。道は例の赤茶色の土だった。10分ほど歩いてみたが特に何事もなく(いや、視線は感じていたが)店もなくなってきたので引き返すことにした。それにしても暑い。途中日陰で休憩していると、向かいの店からおじさんが飛び出してきた。「これは何?」
 素敵な柄の布を巻きスカートのようにして履いているおじさん。私が日本人と分かると知っている日本語を話してくれた。どうやら日本人の女の子の友達が何人かいるようだ。おじさんの店にはマンゴーとスイカが並んでいた。そういえば南国に来ているのにフルーツをあまりに食べていないし喉も渇いている。マンゴーが食べたくてお店に連れて行ってもらった。1kg1.75ドルくらい、大きなマンゴー3個だ。カットしてもらい、多少は涼しい店先で食べさせてもらった。まだ完熟前で硬かったけれど、美味しかった。スイカも一切れおまけしてくれ、これまた体を冷やしてくれた。おじさんも横で一緒にランチ。家族はハンモックに揺られたりお茶を飲んだりのんびり過ごしていた。私の被っている三角帽に入ってくる、可愛いおじさん。

 マンゴーは食べても食べても減らない。1個だけカットしてもらえばよかったな..。暑いし悪くなってしまいそうだ。そろそろホステルに戻ってクルーズツアーの迎えを待っていなければならない時刻にきた。たんまりあるマンゴーをリュックに詰めて、店を出た。マシンはここからまたスタートのはずだったが、このタイミングで修理箇所にガタが来ているらしく、うまく作動できなくなっていた。ツアー中は稼働しない予定だったしその後はすぐに空港でスタンドもバラさないといけない。カンボジアでの《旅するニットマシン》はこれにて終了としよう。スタンドと本体を固定していた毛糸を切って、プロジェクト終了。
 トンレサップツアーのガイドさんは、日本のお笑いが大好きな、通称石田さん。かなり面白く親切で、他のツアー客は20代の女の子二人組のみということもあり終始アットホームな雰囲気だった。ガイド見習いの現地男性もひとり同行していた。道中みんなが、カットしすぎてしまったマンゴーを食べてくれたので、無駄にせずに済んだ。
 トンレサップ湖は雨季前で水はコーヒー牛乳色。そんな湖で泳ぐ子供達の姿がたくましい。雨季には水はきれいな青色になるようだ。水深は1m。岸に立つ超高床式の家やマングローブの枝高くに吊るされた荷物が、雨季の水深の深さを想像させる。雨季には水深9mにもなるという。船乗り場からモーターボートでしばらく走ると、見渡す限りのコーヒー牛乳になった。とにかく広い。時々ものすごい水しぶきをあげながら、水上生活をしている人たちのボートが通る。30分くらい走っただろうか、やがて水辺に水色や青い色をした家がポツポツ見えたかと思うと、その数はすぐに無数になった。家だけでなく、学校、警察、レストランといったあらゆる機能が水上にある。住民が料理をしている姿も見えた。この湖には600種もの魚が住んでいて、カンボジアの食を支えている。
 私たちは水上レストランの屋上からサンセットを待った。あいにく雲に覆われてきれいな丸い夕日を見ることはできなかったが、旅情にふけるにはぴったりなシチュエーションだった。そして私は考えていた。水上生活というものが見たくてここにいるのだけれど、ただの好奇心から”観光”に来ていると言っては正直失礼な気持ちもあった。水上生活している人々にとって、それは普通の、日常のことだ。それを観光目的で毎日多くの外国人が見に来ている。どう思うのだろうか..。それに、水上生活は余儀なくされていると聞いたことがある。私は現地の子供たちにお金やものをせびられたりしなかったし、人々が悲しく辛い表情をしていると感じなかったけれども..。レストランのすぐそばを、たらいのようなものに乗って器用に漕ぐ幼い子供達が通った。

 18時50分。ホステルに戻ってすぐに空港行きのトゥクトゥクに乗り換える。今回のトゥクトゥクはサイドに格子がある安全度が少し高い車種。足の間に旅するニットマシンを挟んで、道中のガタガタに備える。さよならシェムリアップ。車から見える街の景色を目に焼き付けたかったけれど、最後まで《トラベリビング》をやりたくて、格子の1つを編んでみた。この作品は、プレゼントです、と言って残していった。

 搭乗まで時間があったので、マンゴスチンを食べて過ごした。日本ではなかなかお目にかかれないフルーツ。可愛い見た目、中身もニンニクみたい…。でもじゅわっと甘くて美味なのだ。そしてベンチの手すりに編むべくジャスミン編みに挑戦してみた。ユーチューブを参考にしてみたけどなかなか難しい。最終的な作品のサイズ感も想像できず、そのうちに搭乗開始となってしまった。

 そういえば、ポケットに忍ばせてあったアプサラダンスの頭飾り。成田空港に到着してそっとドアの手すりに被せてみたけれど、先端がひねくれてしまっていた。まるでカンボジアじゃなきゃやだ!とニットに言われているようだった。

2019.4.27 シェムリアップに愛を込めて

 

Wrapping By Knitting 編み包む

Artist Toko Shinoda’s words.
“Kimono wraps the human body.
Clothes contain the human body.
There is a difference in spirit.”

My work is to wrap by knitting.
I have been doing this work because I am interested in the communication skills of knitting to fit anything.
Is my spirit of Japanese involved in my unconsciousness?

美術家・篠田桃紅さんの言葉にハッとする。

わたしの作業は、編み包む
ニットの、どんな形状にもフィットするコミュニケーション能力に関心があってやっていることだけど、無意識化で日本人の精神が関係しているのだろうか。

Enku 円空

Influence from Enku
・Speed feeling by chisel running
・Prolific
・Trip
・Thought that all things have the Buddha nature
・Smile

円空からのインスピレーション
・作品に見る、ノミの走りによるスピード感
・そのスピードによる多作
・旅
・木に仏を彫るのではなく、木の中から仏を見つけるかのように彫る(山川草木悉皆成仏
という思想)
・微笑み

My Position in Art History 美術史にみる自分の位置

The Trend of the Art or Related Art or Artists I Am Influenced
・Performance Art
・Relational Art
・Medium Specificity
・Decoration
・Installation
・Socially Engaged Art
・Earth Work
・Site-Specific

・Shinro Ohtake
・Christo
・Tatsu Nishino

The History of Knitting and Threading in Japanese Art History 日本美術史における編み物、糸の歴史

Knitting was already made in the Jomon period. The oldest knitting of the Jomon period which is now found is the wooden knitting basket commonly known as Jomon Pochette, which was discovered at the Sannai-Maruyama site in Aomori Prefecture. Made from 4000 BC to 3000 BC. Height 13cm Bottom surface 7cm. Some of the walnut shells were left inside.
In the Nara period, there is a venerable article Blue Silk Cord used on 9 April 752 at the opening of the Great Buddha of Nara. Tying the thread ends to the long brush used when put in eyes to the Great Buddha, and gave people who gathered the other end of the thread to a merit of opening the eyes. A thin thread was used for watching the big Holy event, celebrating, and praying. A concept like a red thread existed in this era that connects the great Buddha and the people.

縄文時代にはすでに編み物が成されていた。現在、発見されている最も古い縄文時代の編み物は、青森県三内丸遺跡で発見された《木製編籠》通称、縄文ポシェット。紀元前4000年から紀元前3000年のもので高さ13cm底面7cm。中にはくるみの殻が残されていた。
奈良時代752年4月9日、奈良の大仏開眼会に際して使用された由緒ある品《縹縷》(はなだのる)。縷は糸を意味する。素材は絹で、藍染による縹色。大仏に瞳を点じた際に用いた長大な筆に縷を結び、縷のもう片端を参集した人々に持たせて、開眼の功徳にあずかった(日本史より)。一大神聖行事を皆で見守り、祝い、祈るということに細い糸が使われた。大仏と民衆ひとりひとりを繋ぐ、まるで赤い糸のような概念がこの時代に存在した。