南インドのコーラムリサーチ 

 赤、ゴールド、緑、青、銀。タイのドンムアン空港で目にするようになった、色とりどりの布を纏った女性たち。タイには来たことがある。けれどもここから先は未知の世界。インドを目前にしてやはり気持ちが強張る。この空港で目にするようになったインドの人々。男性は皆背が高く、彫りが深く、髪型が似通っていて皆同じ顔に見える。インド・チェンナイ行きの飛行機の列には当たり前だがインド人だらけ。屈強な男たちの列に並びながら身の回りを少し警戒する自分がいた。そんな胸中、カラフルなサリーを身に纏う女性たちがどんなに私の気持ちを軽やかにしてくれたことか!この時目にした光景は、インドとは布だ、という印象を強く私に残した。
 2020年が明けて間もない1月半ば、インドはチェンナイを目指した。目的は旅をしながらのいつもの2つのプロジェクト実行のみならない。最大の目的はコーラムをこの目で見ること。コーラムというのは南インドの風習で、毎朝女性が家の玄関の前に米粉で描く吉祥文様のこと。人に踏まれたり風に吹かれたりして徐々に消えていくが、これは女神が降臨したということで良いこととされる。真っ白なレースのように可憐で繊細な見た目、母から娘へと受け継がれる女性の仕事という点、そして消えることが良いとされるという新鮮な感覚に虜になってしまった。
 消えることをポジティブに捉えていること。この感覚は最近私が作品を作る上で取り入れてみたい感覚である。消える、ということの他、儚い、解ける、重力によって伸びる、垂れるという一見ネガティブに捉えられる要素が私が普段作品に使っている毛糸や手がける作品には実に多い。しかしこれらの要素に抗うことなく、仲良くしていきたい、というのが最近の私のスタンスなのである。
 そもそもコーラムのことを知ったのは、雑誌『暮しの手帖』2018年初夏号。ページをパラパラとめくっていると、正方形のレースのようなものが見開きで並んだ誌面が目に飛び込んできた。ビジュアルに惹かれて一気に記事を読んだ。これだ!という感覚があり、しかもその魅力的なコラムを書いていたのは大学のOGOBトークセッションでご一緒したことのあるイラストレーターの塩川いづみさん。勝手ながらますます縁を感じてもうチェンナイ行きを心に決め、塩川さんにメールをしていた。素晴らしいものに出会わせてくれたことに感謝し、コーラムのことを聞き、インドを旅する上での注意事項を聞いた。塩川さんはすぐに丁寧な返事をくれた。私はコーラムのコンテストが開かれる2020年の1月に照準を合わせた。
 今回の旅は3泊5日。ポンガルという南インドの収穫祭前に開催されるコーラムコンテストに日程を合わせた。当初はポンガル初日も体験するためにもう少し長い旅程を組んでいたが、現地に住むコーディネーターの方の、ポンガル中はお店や観光スポットが閉まるというアドバイスを受けて急遽短くした。そして現地でも、コーディネーターの方が全行程同行してくれて移動も車を用意してくれることが直前に決まった。北と南では治安が全く違い、南インドは安全とは聞いていたものの、初めてのインドでやはり何かと心配事が絶えなかったから、これは本当に有り難かった。
 ということで自分の中でのインド旅行のハードルは幾分下がったが、地味なところで新たな心配の種が見つかった。旅をしながらのプロジェクトのひとつ《旅するニットマシン》のマシンのことだ。フライトを決める時最優先するのは価格で、LCCに乗ることが少なくない。これまでマシンがサイズ的に機内持ち込み不可となったことはないのだが、今回は頭を悩ませた。利用するエアアジアはサイズが他航空会社より若干小さい気がするし厳しいと聞く。もし空港カウンターで機内持ち込み不可となった場合なんと1万円を払って受託荷物にしなければならないのだ..!これは何としても避けたく、今回は史上初、編み機を取り外してスーツケースの中に格納するという策をとった。編み機も怪しまれないようにバッグに収納した上でケースに入れて..。編み機とスーツケース本体はネジで止めてある。いつもなら受託荷物としてドライバーも持参するが今回はそれも不可。プラスドライバーの代わりになるものとしてゼムクリップを数個持っていくことにした。そして毛糸を立てるスタンドも金属の長い棒でできていたものを樹脂製に変更、格納。
 ここまですると一見スーツケースなのだけれど、スケルトンだったり編み機がセットしてあった部分は穴が空いていてケースにしては様子がおかしい。怪しまれるか最後までドキドキしていたが空港カウンターではジロリと見られてクリア!第一関門突破だ。今後は航空会社も慎重に選ぼう..。


成田にて。旅するニットマシン格納バージョン

 チェンナイに到着したのは日付が変わる頃だったと思う。成田空港を発ってから実に12時間は回っていただろうか。コーディネーターさんによるとチェンナイ空港を出る前に荷物を検査するところがあり、チョークで”C”と書かれてしまったものは没収されてしまうから、もしチェックされてしまったら指で消せというアドバイスがあった。長時間の移動の最後、深夜にそれかあ~と思わず苦笑い。しかし手荷物検査場では金属探知機の中に携帯電話を持っていく人はいるわ、ピーと鳴ってもお咎めなしだわでかなり緩く、最後は笑ってインド入国!
 一歩外へ出ると、深夜にも関わらず何百人ものインド人が柵越しに出迎えてくれた(ように見えた)。それは壮観だった。案の定タクシーの客引きが2,3人声を掛けてきたがもうすぐコーディネーターさんに会えると思うと怖いものはなかった。暗く、インド人しかいないように思えた辺り一帯で、黄色いインド風の服を着たコーディネーターゆうこさんは目を引いた。とても似合っている。その服はインドのパジャマ、クルタというらしい。
「よく来たね~!」
私たちはハグをして、早速待機していた車に乗った。車の運転手さんを”クマールさん”と紹介された。
「本当はモンクマールと言うんだけど、ゆうこさんがクマールクマールと言うんだよ」
と”クマール”さん。タイの空港で見たインド人男性のようにガタイの良い、人の良さそうな方だ。
 車の中で早速、ゆうこさんは滞在中のプランについて話してくれた。コーラムコンテストを軸に効率よく街を周る方法を、クマールさんとシュミレーションしてくれていた。
 30分ほどでホテルに到着し、ゆうこさんとクマールさんと別れた。部屋にはリンゴとオレンジが置いてあった。そういえば少しお腹が空いている。インドではうがいですら水道水を使うのは危険とも聞いていたので念の為、ペットボトルの水でリンゴを洗い、ひとかじり。パサパサのリンゴを数口かじって眠りに就いた。
 翌朝は11時にゆうこさんが迎えにきてくれた。今日は15時からいよいよコーラムコンテストがある。その前に、行きたかった所やゆうこさんオススメのお店などを周る計画だ。
出発前に急いで組み上げた旅するニットマシンにホテルのドアマンが興味を示してくれて記念すべきインドでの第1号作品が生まれた。


《旅するニットマシン: 台北 – チェンナイ・ザ・レインツリーホテル》

 まず最初に向かったのはタラブックス。世界一美しい本を作る出版社として知られている。紙まで独自に開発しているらしい。そんな出版社がチェンナイにあるというのだ。この小さな出版社にて、訪れた先を即興で編み包んでいくプロジェクト《トラべリビング》を実行。


《トラべリビング: 20200111#1》

 車窓から見える景色は視界が開けていて、左右に南国風の大木が連立していた。カラフルなサリーを身に纏った女性たちがポツポツと現れる。この光景は、治安の悪い北の大都市では考えられないとのことだ。通りすがりに、布の色やその装飾性や着こなし方を見るということに自然と意識が向くようになっていた。すでにもう私の中で、インドの印象といえば”布”ということになっていた。こう多くの布を纏った人々を見ていると、自分を始め体の形になった洋服を着ている人が窮窟に見えてきた。かつては着物を日常的に着ていた民族としての感覚なのかもしれない。
 そんな、布に取り憑かれた私の気持ちを悟ってか偶然か、ゆうこさんは布がメインのバザーにも連れて行ってくれた。日本の皇室の方も訪れるというアートセンター内で年に2回しか開かれないバザーのスケジュールとたまたま合ったのだ。


バザーの入口の装飾。ここにも布が

 ここで魅了されたのはブロックプリントの世界。木彫りのハンコをぽんぽん押しながら模様をつけていくイメージの技法。インクのかすれや版のダブりなどのエラーがいい味を出している。売られているのはサリー布が多かった。幅1m長さ5mほどの布で一枚の中で柄が変わる。例えばシーツやカーテンのような使い方もできるかも。
 布も染めやプリントが施されているものだけでなく、総刺繍のもの、ミラー刺繍や縁をフリンジで装飾しているものなどなど様々で、インドの人の美意識や手仕事の巧みさが布という世界に詰まっているように感じられた。インド藍の染め布も見かけた。なんて綺麗なのだろう..。ゆうこさんに、そんなに値段も高くないのだから良いと思ったものはどんどん買うべきよ!このバザーはもう今しか来れないよ!というアドバイスをもらったが、普段から財布の紐が堅い私は慎重。それにインドでは値段は全て言い値だから、売主と交渉することが当たり前なのだが、何せ布の相場が分からない。結局このバザーでは、日本での相場と比較しながら交渉し、インドっぽい柄のドアノブ(なにかしら作品に使えるかもしれない)と総ブロックプリントのパンツを購入した。
 その後はコーラムに関する書籍を探しに本屋や水を購入しにスーパーへ。旅先ではこういった庶民の買い物先を訪れるのが好きだ。チェンナイのスーパーはやはり香辛料の種類が豊富だった。そして驚いたのは、お米が可愛いコットンの袋に入って売られていたこと。コットン生産主要国ということもあるのだろう、ここにも布の文化があった。そういえば、街を歩いている人は大抵コットンのトートバックを持っていたし、ホテルの部屋に毎朝届く新聞も、まるでそれ専用に作ったかのような小ぶりのコットンバックに入っていた。スーパーではビニール袋に入れてもらう方が珍しいようだったし、ファーストフード店に行っても紙ストローが当たり前。先進国の日本より、インドの方がよっぽど環境問題への取り組みが進んでいるように思われた。


《トラべリビング: 20200111#2》

 カフェでお茶をし16時頃、いよいよコーラムコンテストへ行くこととなった。時間にルーズなインド事情を知るゆうこさんは
「15時からスタートって言っても絶対時間通りにスタートしていないよ」
と言っていたが、会場に到着した頃には地面に美しいレース模様が敷かれつつあるところだった。タラブックス見学後に少し街を歩いた時、あるいは車の中からでも、家や施設の玄関前に描かれたコーラムを見ることができて、本物だという気持ちとあまりの綺麗さに感動したのだが、コンテストはまた違ってよかった。


街なかで見た、日常のコーラム

 参加者は100人はいただろうか。1m角くらいのスペースを与えられて皆腰をかがめ指から白い粉を落としていた。直接地面に触れず、指と指の隙間から一定量の粉を落とす―-それは指から繰り出される魔法のようだった。多くの参加者がお母さん世代で、ベテラン揃いという感じだった。目安の線や印をつけてから模様を描く人もいれば、何もなくてもシンメトリーに美しく描き進めている人もいた。

 作品は50mほど続いていて、多種多様な白い花のような、レースのようなものを鼠色の地面に咲かせていた。その沿道に人々が集まって見学したり応援したりしていた。私は感激と興奮で隅から隅まで何度も行ったり来たりしていた。そのうち『暮しの手帖』で塩川さんが見たように、高いところから見下ろしてみたくなった。壮観な景色が想像された。ふと見上げると、とある建物の屋上にちらほらと人がいた。皆そこからコーラムの写真を撮っている。下に目をやると屋上へと続くであろう扉には人が吸い込まれていく。建物の住人ではないであろう人たち。私たちも期待を込めて扉の前にやってきた。座っていた2,3人の老婆がにこやかに、こちらが尋ねるまでもなくどうぞどうぞというような手振りをしてくれた。そんなわけで思いがけず、私たちはチェンナイの民家がどんな風なのかも垣間見ることができたのだ。
 屋上からすぐに下を見てみた。鼠色の地面に咲く百花繚乱のコーラム。沿道に集まる人々のサリーが色鮮やかだ。空はもう夕焼け色をしていた。


コーラムをバックに《トラべリビング: 20200111#3》

 このために、ここに来て、本当によかった。こんな世界があるんだな。誇りと美しさと儚さに満ちた空間。きっと遥か頭上から、神様も見ているだろう。
 コーラムを見にインドへ行くというのは相当変わった人と認識されるらしい。インドをよく知る日本人にもそう思われたようだし、クマールさんは2日間もコンテストを見に行くことに驚いていた。それだけ、チェンナイでは日常に溶け込んでいるものなのだろう。日本人は、少なくとも私は信仰深いわけでもないから、普段から神様の存在を意識することはない。神様と自分を繋げる行為ということも日常的にしているわけではない。だからこそ、チェンナイの人々のこのコーラムという風習と想像力がとても新鮮に映るのだ。それに、風や人々の日常行動に抵抗するのでなくそれによって消えるということをポジティブに捉える自然体な考え方も私にとっては新鮮に映り、私もそうでありたいと思う。それから一家の母の役目であり誇りであり娘に受け継がれていくという点で、同じ女性として娘をもつ母として、勇気付けられたのである。
 17時から審査が始まるという。誰がどういう基準で評価するのかは定かではなかったが、やがて”KOLAM WINNER”と書かれた札が作品の角に置かれ始めた。どうやら1点だけ選ばれるというわけではないようだ。私見ではバランスが整っていて手慣れた感があるコーラムが選ばれてなかったり、逆に少しいびつでも選ばれているものがあってそんな作品はどこか模様にオリジナリティが感じられるのだった。


このマダムの描くコーラムは別格に美しく、観客も多かった。受賞を果たし、自信に満ちた誇らしげな表情を捉えた

 同時に、キャンドルがぽつぽつとコーラム上に灯され始めた。幻想的でさらに祈りの雰囲気に包まれた。他の観客がするように、私は自分の気に入ったコーラムの元まで行って写真採集した。
 審査で選ばれた人々は一人ずづ表彰され、記念品を受け取っていた。一般的なコーラムの文様がおそらくシルクスクリーンで刷られた壁掛けのオブジェと、コーラムの文様がプリントされたコットンバック。バックの中にも何やら色々と入っているらしい。コットンバック入りというのがなんともインドらしい。


受賞者の皆さんを記念に撮らせてもらった

 ひととおり満足して、お祭りを周ってみることにした。コーラムコンテストの会場から一歩出ると、そこはもう人、人、人。そこにクラクションを鳴らしながらバイクや車が無理やり通るものだから危なっかしい。前後左右に神経を張り巡らせて一瞬一瞬の判断で機敏に動くということが大切だった。どうやらチェンナイは世界一交通事故の多い都市というデータがあるらしい..。車を用意してもらえていなかったら、この旅がどうなっていたのだろう..。
 クマールさんが車で待機している所まで、出店の並ぶ通りを通っていくことにした。コーラムを描くための粉を売っている人、ポンガルの日に家々を飾る花飾りを作りながら売る人、プリンのような怪しい食べ物を売る人、布を売る人。私はシルクスクリーンの版のようなグッズを3枚購入した。布にコーラムの模様が抜かれていて上から粉をふりかけるとその模様の部分のみに粉が浸透し、簡単にコーラムが現れるというもの。子どもの砂遊びに良さそうだ。


南国の花ともどこか違う、チェンナイの花々たち


よく考えられたコーラム作成機

 この日の夕飯はゆうこさんのリクエストでホテルの地下に入っている中華へ。チェンナイには韓国人が多く住んでいるため韓国料理屋はたくさんあるのだが、中華でしかも美味しいというところはあまりないのだという。この中華レストランは美味しいということで現地在住の日本人に評判なのだという。ワイン好きのゆうこさんのおすすめでインドのワイン、SULAもいただいた。インドはヒンズー教徒が多いこともあってお酒を飲む習慣は一般的ではない。スーパーにもお酒が売っていない。禁酒州もあるくらいなのだ。だからゆうこさんのようにお酒好きな人は日本から持ち込んでいくらしい。明日は少し遠出をするからということで10時にホテル待ち合わせにしてゆうこさんと別れた。
 翌朝。ビュッフェスタイルのホテル朝食で、メインをドーサにしてみた。昨夜、ゆうこさんにオススメされた南インドのクレープ料理だ。クレープという時点でハズレはないだろうと思っていたけれど、これが美味しくて!私がオーダーしたのはマサラ・ドーサ。カレー味に味付けされたジャガイモがもちもちのクレープの中に入っている。これに好みでチャツネをつけて食べる。言葉も通じなくて西洋風のメインを頼んでしまった昨日を後悔した。

 今朝もホテルのドアノブには新聞の入った小さなコットンバッグがかかっていた。ホテルの内装もよく見れば、壁一面がコットン糸で装飾されていた。コットンの素朴で優しい味わいも、私のインドのイメージそのものになった。

 今日も出番は難しいかも、と思いつつ一応車のトランクに旅するニットマシンを積んで出発した。昨日はコンテスト時にプロジェクトを敢行しようか迷ったけれど、コーラムに集中できなくなりそうだったのでやめたのだった。でもそれが正解。押し合い圧し合いの人混みの中ではマシンはかなり迷惑だったろうし、損壊の恐れもあった。
 この日ゆうこさんが連れて行ってくれたのはチェンナイの世界遺産マハーバリプラムの建造群だった。中でもバターボールという、絶妙なバランスで停止している巨岩を見たいというリクエストをしていたのだった。幹線道路をひたすら南下しながらいくつもの集落を抜けて2時間ほど、やがてサリーの色が赤やオレンジだらけの街に着いた。この色についてはポンガル直近だからなのか、それともこの街の独自の意味合いがあるのかは分からなかった。こちらもものすごい人混みで、車で抜けるのは一苦労。マシンを持っていくのも難しそうだ..。
 砂浜に立つその名も海岸寺院に行くまでに、思いがけずインドのビーチを歩くこととなった。海を前にすると、ここも日本と繋がっているんだなあと感じて自分が今いる場所を確かめたくなり、google mapを開いた。ここはベンガル湾。本当にインドにいるんだなあと実感してしまった。

 何をするでもなくビーチにも人が沢山いた。砂浜に簡素な遊園地のようなものもあった。そういえば今日は本当に暑い。水を意識して飲まないと熱中症になってしまう。日除けに持ってきたインドちっくなストールも大活躍だ。こちらの人を観察してみると、ストールは前からかけて後ろに垂らす。私もこれに倣ってそのスタイルに。
 インドには野良牛が沢山いるよ、と聞いていたがこの街ではその光景も度々目にすることができた。


バターボール


ガンジーのポスター


ポンガルのポスター


環境問題を啓発するポスターも多数見かけた


バスもポンガルを控えて生花で装飾

 夕方17時近くからはコーラムコンテストday2。クマールさんはおそらくまたか~と内心呆れていただろうけれど、2日目の今日は色付きのコーラムコンテストなのだ。塩川さんの記事によると、ポンガルの時期は通常の白いコーラムだけでなくカラフルなコーラムも登場するということだった。街なかでもカラフルなコーラムを見る機会も多かった。

 白いコーラム、色付きのコーラム、それぞれに良い。色付きのコーラムは模様というより、絵画的要素が強かった。中でもポンガルを象徴するモチーフである壺を多く見かけた。お母さんにサポートされながら制作していたまだ若い女性の参加者が印象的だった。


粉と地面の色とのマリアージュ


子どもの受賞者もちらほらと

 私たちは昨日と同じくひととおりコンテストを満喫した後、会場の隣に建つカーパレーシュワラ寺院へ行ってみることにした。カラフルなポンガル同じく、カラフルな神様がびっしりと彫刻された塔門が目を引く、チェンナイの観光スポットだ。そのカラフルさは暗闇では見ることができなかったが、代わりに寺院には似つかわしくないような電飾でピカピカとしていた。しかしやはり寺院内は敬虔な雰囲気に包まれていた。ヒンズー教徒でないと立ち入れないスポットに続々と人が入って行ったり、地面に輪を作って何かを唱えている人々の集団がいたりと、インドの人々の信仰深さに自分とは異なる価値観や生き方を感じざるを得なかった。


出店前のカラフルなコーラム。売り物との色合いが絵になる


カラフルなコーラム用の粉

 この日のディナーは南インド料理。実はゆうこさんも食べたことがなかったらしい。席に着くと、お店のスタッフが髪に生花を飾りつけてくれた。この時期街の女性たちがつけていて密かに憧れていた飾り。そしてバナナの葉が敷かれた丸い金属の大皿、ターリーにまず6種類ほどの様々なペーストが盛られ、バナナのパンケーキのようなものが出てきた。6種類のうちのこれとこれをつけて食べてね、というウェイターのアドバイス。すごく美味でこの後も期待できそうだ。

 次は小さなお椀、カトゥリに注がれた様々なカレーやスープなどがターリーにぐるりと並べられた。真ん中のスペースに置かれた麺のようなものやナンのようなものやご飯のようなものにつけて食べる。かなり好みが分かれてしまって、私は気に入ったもの、確かほうれん草のカレーばかりをつけて食べていた。かなり辛いものもあったのだがそんな時は真っ白なヨーグルトが絶妙に美味しかった。

 次の日。早くもチェンナイ最後の日だ。夜中のフライトで帰国する。この日はCotton Alleyという布のショッピングセンターに行くことが前々からの最大の楽しみだった。チェンナイに来る前からコットンという素材に関心があり、コットン生産主要国であるインドに行くなら生産の現場や布の売っている所に行きたいと思ってリサーチしていた。夢に描いていたのは、弾けたコットンボールが広大な敷地あたり一面に広がる景色だったが、チェンナイにはそのような生産地域はなく、見つけたのはCotton Alley。インドでコットンの布を買って帰りたかった。
 この日もう一つ、強く願ったことが叶うことになった。ゆうこさんが通っている刺繍教室を見学させていただけることになったのだ。インド人は手が器用で、バザーで感じたように手工芸が盛んな印象があった。ぜひその手仕事をこの目で見たいと思い、ゆうこさんに無理を言ってお願いしていたのだ。教室に問い合わせてくださり、有難いことに承諾を得られた。
 その前に朝ごはん。メインはもちろんドーサ。やっぱり変わらず美味しかったのだが、昨日は気づかなかった新たな美味しさに目覚めた。それはドーサにつけて食べるチャツネ!複雑な香辛料の融合からなるこのチャツネ、これまで主役のドーサに気を取られていたけれど、よくよく味わってみるととても美味しかったのだ。これは単独でもいける。おかわりをもらおうとウェイターを呼ぶと、ビュッフェカウンターから小皿山盛りに持ってきてくれた。なるほど、そこにあったこと、全然気づかなかった。確かに痺れる辛さなのだけれどやみつきになり、やめられない。おかわり2杯目を自分で取りに行くと、そのチャツネの壺の隣には緑色の別のチャツネが。嫌いだったら困るので、スプーンの先端量をちょんと盛って食べてみると…なんとこれは私が狂愛するパクチーではないか。なぜ最後の朝食に気づくのであろうか。小皿に山盛りにして、2種のチャツネを交互に食べた。これは別腹、何杯でもいける..。


2種のチャツネ。時にはサモサにつけて

 そして最後の朝食に、マドラスコーヒーなるものにも挑戦してみた。それは昨日から周りの客たちがよく飲んでいたものだった。2重に重ねられた薄い真鍮製のカップになみなみと注がれたコーヒー。そのまま飲んでも無味なのでまず大量の砂糖を入れる。それからカップの縁を持ってもう一方の空のカップに注ぐ。それをまたもう一方のカップに注ぎ返す。これを何度か繰り返すうちに、熱々だったコーヒーが程よく冷める。飲んでみると激甘だけどねっとりしていて美味しかった。インドといえばチャイを思い浮かべるが、南の方ではコーヒーの方がよく飲まれるそうだ。

 さて、最初の目的地は刺繍教室。ホテルまで迎えに来てくれたクマールさんの車は新しい道を通った。ホテル前の道路のひとつ隣らしきその道路は脇に家が立ち並び、左右や頭上は緑の茂る大木で覆われていた。南国の朝の明るく澄んだ空気も気持ちがいい。そして家々の前には白やカラフルなコーラムが。そういえば、チェンナイに来て自分の足で街歩きをしていないなという気持ちになった。もちろんこの街を歩くことの危なっかしさは身をもって分かっていたから、車移動には感謝してもしきれない。けれどもプロジェクトの観点から考えると歩かないと始まらず、歩いてみて感じるチェンナイもあるだろう。
 刺繍教室は刺繍工房の一角にあった。ちょうど日本人の生徒さんが2名いて、自然光を頼りに針を進めているところだった。一人は通い始めて2年ほどの方でリボン刺繍を、もう一人は数ヶ月目で基本的な刺繍をやっているところだった。ただ私が知っている、刺繍糸を3本程引き揃えて縫っていく刺繍とは異なり、ミシン糸ほど細い糸の一本取りで作っていた。なんと細かいことか。生徒さんにお話を聞くと、もちろん自分の意思で始めたのだがあまりの難易度、そして指導がラフなこともあって最初の頃は罰ゲームと思ったとか。こちらから質問をしないと先生は教えてはくれず、その内容も大雑把らしい。照明もないので自然光が頼りで、目にも負担がかかるということだ。ただし、好きな時に来て好きな時間まで作業をしていて良いということで、なんとも羨ましい。
 刺繍の先生は、なるほど先生らしい人だった。赤いサリーにそれにあうアクセサリーをシャラシャラとつけた美しく威厳のある人。先生は私が持っていた奇妙なマシンに興味を示してくれた。インドの刺繍の先生にプレゼンをし、作品を残していけることは光栄だった。


《旅するニットマシン: ザ・レインツリーホテル – ガンジー・ピース・ファウンデーション》

 奥では男性の職人がまさに布に刺繍を施そうとしているところだった。またその隣では別の職人がミシンを手慣れた様子で扱っている。私たちは刺繍の場面をしばらく見させてもらうことにした。ピンと張られた布にえんじ色の女性用のトップスと思わしき布が固定されている。その中央に開けられた装飾的な穴の周りを、おそらく布のほつれ防止のために糸でかがるところらしい。何十種類とある細い糸の中から糸を選択し、編むように布に針を刺していく。その速さと緻密さと正確さといったら。プスプスという布に針を刺す音が心地良く耳に響く。インドではこのように布を買って服をオーダーメイドすることも一般的なようだ。確か材料費と制作費を合わせても3000円ほどだったと思う。だから手の器用な人が多いのだろうし、様々な技術が発達するのだろう。一点ものの服を着れるというのもなんて素敵なのだろう。この先服にどんな刺繍が施されるのか見ていたい気持ちを抑えて、30分ほどで教室を後にした。
 次はいよいよCotton Alley!到着したそこは、私が思っていたセンターというものではなく、路肩に30件ほどの生地屋が軒を連ねた通りだった。ゆうこさんは一度来たことがあるらしい。どんな布が欲しいか整理してみると、私は最近服を自分で作っていて、なるべく天然素材を纏いたいという想いからコットンの生地が欲しい。もう一つ、チェックの種類にマドラスチェックというものがあるがマドラスというのはイギリス植民地時代のチェンナイの名称。だからマドラスチェックの生地はマストで欲しい。どんな布に出会えるかワクワクしながら、まずは端から端までチェックすることに。道すがらはもちろん旅するニットマシンを引いていった。一軒一軒立ち止まるごとにお店のマスターやお客さんの注目を浴びたニットマシン。いくら?とインド人らしい質問をしてくるおっちゃんもいた。


《旅するニットマシン: ガンジー・ピース・ファウンデーション – コットンアレー》


《旅するニットマシン: コットンアレー – コットンアレー#1》


《旅するニットマシン: コットンアレー – コットンアレー#2》


この日は初日に買ったブロックプリントのパンツを履いた

 そういえば心なしかこの辺りにいるお店の関係者はチェック柄のシャツを着ていたり布を腰に巻いている気がしていた。人々と話ながら、このチェックの色味が好みだなあとかこれもマドラスチェック?と、もう自分はどんな布を着ようかに意識がいっぱい。ここで購入したのは3枚の布。暑い地域なのに売っていたコーデュロイの生地。日本で買うとおそらく高価なコーデュロイ。色も綺麗だし買わない手はない!そして初めはゆうこさんが気になって購入していたアースカラーのタイダイ染めの布。カットワークのレースも施されていてエレガンスさが加えられている。こんな斬新な布、日本にはないだろう。ゆうこさんのセンスに感謝!そしてマドラスチェック。どこの店にもマドラスチェックは売っていた。種類が際限ないので、一番威勢の良い兄ちゃんの店に行って、どれが最も一般的なマドラスチェックなのかを聞いてそれを購入。大満足な買い物だった。気軽に行くことができないのが本当に残念でならない。車中、もう私の頭の中は買った布をどう服にしようか、楽しさでいっぱいになってしまった。

 ゆうこさんはもうすぐ始まるポンガルを利用して旅行に行くとのことで、これでお別れになった。クマールさんはその後も付き添ってくれて空港まで送ってくれることになった。本当に、有難い。ホテルに一旦戻り、2時間後にまた車で迎えに来てもらう間にパッキングを済ませて、初日のタラブックスで実行して以来全く作っていなかった《トラべリビング》を実行すべくアイデアを練った。このプロジェクトでは旅をするうちに浮かび上がるその土地らしいモチーフで包むことがベストと考えている。今回の一番の旅の収穫はやはりコーラム。レース編みでコーラムのようなモチーフを編んで、訪れた先に残していくことにした。
 クマールさんがまず連れていってくれたのはスペンサー・プラザ。観光客向けのショッピングモールだ。館内散策もそこそこに、クマールさんと約束した時間まで周囲を歩いてみることにした。やはり旅するニットマシンを引いて、街歩きをしてみたかった。できれば、民家のあるあたりを歩いてコーラムに出くわす、なんて光景を希望していたが、そんなことは言っていられない。


《トラべリビング: 20200113#1》

 次に向かったのは手芸屋さん。チェンナイの手芸事情をチェックということだ。道路はお祭りが近づいているからなのか、それともこれが日常なのか、大渋滞。そこかしこでクラクションが鳴り、クマールさん含め実に器用にすり抜けていく。チェンナイを去るまであと数時間、私は目に焼き付けるように、道を歩く人々や隣になったバスの中で疲れた表情をするサラリーマンなど人間観察をしていた。
 手芸屋さんは繁華街の中にあった。もう辺りも暗いし叶わないと思っていたコーラムとの偶然の出会いはここで叶った。手芸屋の並びにレストランがあって、店前に大きな鳥と壺のコーラムが描かれていたのだ。私はコーラムの上に自分なりのコーラムを残していきたいという欲望にかられて、最初は遠慮気味に端の方にそっとニットを置いた。お店の人々がニコニコしながら見つめている。その表情を見て、思い切って真ん中に置いていいか、そしてこれを残していっていいか尋ねてみた。人々は口々に
「ノープロブレム!」
と繰り返してくれた。神様のために、祈りを込めて描いたに違いないコーラム。人々の心意気がとても身に沁みた。


《トラべリビング: 20200113#2》

 手芸屋さんではもちろん旅するニットマシンは注目された。暑い地域なのに毛糸も売っていたし、なんと旅するニットマシンに使用しているような輪編み機もあった。


《旅するニットマシン: コットンアレー – R.Sショッピングセンター》

 最後に向かったのは手芸屋さんからほど近い、ゆうこさんオススメのスーパー。お土産も買いたかったし、チェンナイ市民が利用する日常的なスーパーをもう一度訪れたかったのだ。
 渋滞でフライトに間に合わなかったら大問題なので、クマールさんは余裕をたっぷり持った時間管理をしてくれたようだった。スーパーから空港まで2時間ほどかかるのかと思いきや、1時間ほどで到着した。チェンナイに着いた時には見ることのなかった空港の外観が何やらディズニーランドのようになっていた。カーパレーシュワラ寺院の電飾の非ではない。”HAPPY PONGAL”の文字や壺、牛などなどが空港の端から端まであらゆる色でギラギラしていた。念の為、これはポンガルのため?とクマールさんに聞いてみた。通常時はどんな空港なのか見てみたい気もしたがそれはまたの機会に。

 おしゃべりで押しの強いインド人のイメージからは遠くかけ離れたクマールさん。シャイで寡黙、必要最低限のことしか話さない。結局世間話のような会話は一切しなかった..。最後は握手をしてさようなら。本当にジェントルマンだったな。
 いつも旅から帰ってくるとサウダージになってしまうのだが、今回は帰国後すぐに慌ただしくて写真を振り返る暇もなく、そのような感情には陥らなかった。この月が異常に長く感じられ、チェンナイに行ったことが既に遠い昔のように感じられる。
 Cotton Alleyで購入した布はアトリエの棚にあって、服になった姿を想像させてくれて私を楽しませてくれている。コーラム体験は今後の作品制作になんらかの影響を与えてくれるかもしれない。
 そういえば、帰国後にゆうこさんから届いたメールにはこうあった。
”また来た時には自分の田舎を案内してくれるとモンクマールさんが言っていました。色々とお寺や大きなコーラムが見れるといっていましたのでまたどうぞいらしてくださいね”

《Traveliving》&《Traveling Knitting Machine》in Siem Reap

 “誰にも頼まれていないことをやろう。”
2019年4月19日19時過ぎ。緊張がほぐれつつあるベッドの上で、スマートフォンの画面に表示された言葉。私のSNSのタイムラインに流れてきた言葉である。そうだった。私は今まさにこの状態にいるんだ。緊張感から一気に解き放たれ、自信とも喜びともつかぬ感情で満たされた。誰にも頼まれていないけれど、プロジェクトを遂行するためにここに自主的にやって来たのだった。よし。やってやろう。
 ここはカンボジア、シェムリアップ。私はゲストハウスの6人部屋、2段ベットの上段に横たわっている。数ヶ月前、シェムリアップに来ることを決めた。10年ほど前から途切れ途切れ続けている《トラベリビング》と、5年前から途切れ途切れ続けている《旅するニットマシン》を遂行するためだ。別にどこにいたってできるのだけれど、日常的ではない海外に身を置いたほうが刺激的でがぜんモチベーションが上がる。シェムリアップにしたのはアンコール・ワットに行ってみたかったから。数々の世界遺産を見てきた周りの人々が口々に、アンコール・ワットが最も魅力的だったと言っていたからだった。それに私はとても心配性な性分で、完全なる海外ひとり旅は今回が初めてということで、日本から女性のひとり旅人も多いこの地にしたわけだ。
 私の心配性具合は度を過ぎていると自分でも思う。おまけに面倒くさがりなもので、旅に出る直前には後悔の念も押し寄せる。なんで計画したんだろう、面倒くさくなってきた、お金を盗まれたらどうしよう、連れ去られたらどうしよう…等々。自主的に計画したにもかかわらず、だ。さらにおまけなことには、旅するニットマシンはとても目を引く魅力的なマシンであるがゆえに、持ち運ぶ際に恥ずかしさがないと言えば嘘になる。特に日本国内では、日本人はじろじろ見てくるけれど、話しかけてはこない。ちょっと距離をとって、「あれなんだろう」とひそひそ話している。日本語が理解できてしまうから、そういうのがこそばゆいのだ。
 でももちろん、最早行かないという選択肢はない。半ば事務的にパッキングをしていく。そうでなくとも、旅するニットマシンはロストバゲージや故障防止のために機内持込をするため、空港での分解作業を頭の中でシミュレーションしながら、荷物を受託荷物と機内持込に仕分けしていく。なかなか頭を使う作業だ。
 旅するニットマシンは故障していたので、出発前ギリギリで修理をしてもらった。これまで幾度となく壊れてきたマシン。今回は毛糸スタンドを新調してもらった。スタンドは機内持込時に取り外して、全体をサイズダウンする必要がある。これまでは木製のスタンドで、ネジ留めをドライバーで外す仕様だったが、今回は自分の手のみで取り外し可能な仕様。だがその代わりか、作りに遊びがあり、ケースを転がすために傾けると、毛糸スタンドに設置された毛糸がケースに寄りかかってきて、編機にうまく毛糸が渡っていかない。ケースを傾けすぎないことで防止できるかもしれないが、これはひょっとして、現地でプロジェクト実行不能になる可能性が大である。故障を現地の材料で直しながらプロジェクトを遂行するのも作品のうちなのだが、念のため割り箸、大量のマスキングテープ、輪ゴム、瞬間接着剤を持っていくことにした。

 自宅を出て14時間。シェムリアップ空港に到着した。旅するニットマシンに注がれる数々の視線はもう気にならない。私がどこの国の人間で何者なのか、誰も知らないのだ!と思うと、ただひとりの人間がここにいるだけ、という感覚になっていた。まあ、日本の街中を歩いていたって、誰も私のことを知らないのだけれど…。
 《トラベリビング》は行った場所をニットで包んでいく即興的なプロジェクトだ。どんなモチーフでくるむかはその地で過ごしてみて決めることが望ましい。だから私はカンボジア入りしたと同時に、いつも以上に自分の感受性に意識を向けていた。
 飛行機のタラップを降りた私を、夕暮れのカンボジアは早速刺激した。空間全体がまず赤茶色い。あるいはサーモンピンクともいうべきか。空はちょうど夕暮れだし、飛行場の土や建物がそんな色なのだ。この色合いに南国独特の木々のスモーキーな緑がよくマッチしていた。暑い空気と夕暮れもそうさせるのか、全体的にぼんやりしたピンクとグリーンの組み合わせがとても美しく感じられ、また一層私を南国ムードにさせていた。

 空港にはホテルまでのトゥクトゥクが迎えに来てくれているはずだ。運転手さんが反応してくれたら早速《旅するニットマシン》を遂行したくて、入国後にまず毛糸のスタンドを取り付けてみた。が、事前に試したようにやってみても上手く取り付けられず外れてしまった。落ち着いてやってみる必要があるのか。加えてスマホを現地SIMに交換する手続きにも手間取ったこともあり、どっと疲れ、気分が落ち込んでしまった。運転手さんの元に行くのも遅くなってしまった。暑い中数十分待っていてくれた運転手さんは笑いかけてくれたものの少し不機嫌になっていた。ああ!とても悪いことしたな…。マシンを見て「これはなに?」と聞いてきてくれたこともあり、「あとでプレゼントします」と伝えると、にっこり笑顔を見せてくれた。
 トゥクトゥクに乗ればあとはもうホテルまで無事に辿りつける。そして風が気持ちいい。安心感と過ぎ去っていくカンボジアの景色にちょっと興奮したのとで、落ち込んでいた気持ちもだんだんとほぐれてきた。おっと、ガタガタ揺れる車体からマシンを守らなきゃ。車体の壁もないから走行中落ちてしまうかも!けれど、このガタガタさえ、心地よかった。
 ホテルに到着すると、そこまでにマシンで編まれたニットを運転手さんにプレゼントした。愛車の手すりにかけて記念撮影に応じてくれた運転手さん。ホテル前で待機していた仲間の運転手さんになにか冷かされているようで、明るい笑い声が響いた。空港で遅くなったことを何度もお詫びし、お別れをした。

 部屋に着き、さっそくマシンの組み立てに取り掛かるが、やはり事前にできていた毛糸スタンドの棒が固定できない。明日は1日ツアーに出て持ち出さないのだけれど、落ち着かないのでもうここで棒を割り箸に替えてみよう。お箸を割った時にうまく真っ二つに割れずに太くなった部分が、ちょうど棒を差す穴にはまって固定できた。恐る恐る毛糸をセットして少しケースを転がしてみると、編機もちゃんと回っている。ほっとしたところで外に出て夕食を探す体力もなく、ホテルのレストランで3ドルの麺を食べて22時過ぎに就寝した。麺は美味しくて、もう一杯おかわりをした。
 翌朝、同じ部屋に宿泊する人の物音で目を覚ました。4時過ぎに起きる自分がいちばん早いと思っていたけれど、ここはアンコール・ワットの拠点である街。この時間に起きることは普通なのだ。そう、サンライズとアンコール・ワットの美しいコラボレーションを観るために。1階のフロントには多くの宿泊客がいてこんな朝早くからサンライズ・ブレックファストを摂っている人もいた。今日は私もサンライズから始まる1日ツアーに参加する。終始感性を研ぎ澄まし、シェムリアップの街を感じ、遺跡に関する知識を得て、明日本格的に遂行する《トラベリビング》のモチーフを閃きたい。迎えに来てくれたツアーバスの内部の装飾に、早速私は惹かれた。青を基調に花や鳥が描かれた絢爛な装飾。これはクメールの文様なのだろうか。カーテンの柄や座席の柄に想いを巡らせてみた。

 バスはそこからアンコール・ワットの入場チケット売り場を経由し、30分強でアンコール・ワットのお堀の前に着いた。空はすっかりピンクと肌色と水色のグラデーションに覆われ、お堀の堤防には大勢の観光客が腰掛け、サンライズの瞬間を待っていた。広大なお堀の奥には、写真で良く見るあの三塔が小さく、ギザギザのそのシルエットを浮かび上がらせていた。私も堤防に座ってみた。お堀には手前に蓮の葉が浮かんでいてカンボジア情緒をさらに醸し出していた。いくつかの花が開いているようにも見えたが、視界が暗くてまだその姿ははっきりと見えなかった。
 空は刻一刻と白けてきた。思っていたより変化が早い。6時頃、塔の左側から真っ赤な太陽が顔を出し、みるみると昇ってきた。地球が回っているから太陽が動いてみえる。こんなにゆったりと朝日を見たことがなかったから、そんな当たり前のことを忘れていた。お堀に架かる橋から蓮の花に近づいてみた。ピンクの花がすっと伸び、開いていた。

 今回参加したツアーは日本から申し込んだ日本語ガイド付きのツアー。アンコール・ワットのことを知るためには日本語での説明を必要としたし、広大な遺跡の見所とクメール料理、そして最後にはアプサラダンスのショーを見ながらの夕食、とシェムリアップがぐっと凝縮された充実のツアーだ。参加者は私を含め6人。ツアーで親しくなった女性によると、私たちが行った4月は乾季とこれから始まる雨季の間にある暑季という短い季節。1年で最も暑い季節らしい…。よりによって、ニットのプロジェクトをしにいちばん暑い季節に来た、というわけだ。でも、観光地に日本人が少ないのは嬉しいことでもある。
 朝食を摂りに一旦ホテルに戻り、これから夜9時まで続く長いツアーに備えるべく少し休憩した。そして欧米人の宿泊客が飲んでいるように、1ℓのペットボトルの水を購入してバスに戻った。とにかく外は暑いのだ。水をガブガブ意識的に飲んでいこう。
 そこからの遺跡巡り、ガイドのチョグさんの丁寧な説明に、アンコール・ワットについて予備知識ゼロで来た私は一言一句漏らさんぞ!という意気込みで耳を傾けた。そしてそのうちに、私の目の前と頭の中は石とそこに刻まれたレリーフや装飾でいっぱいになった。とにかく沢山の石の建築物を見た。何十段にも積み重ねられた石、石、石。人力でよくぞここまでやったものだ…。そしてどの石にもヒンズー教や仏教の神様の顔や物語が刻まれ、装飾の洪水であった。表面が平坦な石なんてひとつも見なかったと思う。その執念、忍耐力に脱帽だ。それらが800年~900年もの間、こうして残り続けていることにも驚く。私は頭の中で当時にタイムスリップし、その頃の生活やお寺の建立作業を思い浮かべてみた。悠久な時の流れを逆流してみる作業が大好きだ。

 サンセットを見に移動した道で、私はまたカンボジアンカラーに出会うことができた。土の赤茶色と植物の緑、ギラギラした太陽が暮れた空のスモーキーな色合いだ。左側にある池とそこに佇む現地の人の姿が、より一層カンボジア風情を醸し出していた。

 他のツアー客とすっかり打ち解けた私は、ツアー解散後、唯一もうひとりの女性ツアー客だった方とナイトマーケットに行くことにした。時刻は21時近く。ひとりでは不安だったけれど夜に出かけられるのはこの日しかなかったし、なにより、翌日《旅するニットマシン》を万全に遂行するために、昨夜応急処置したマシンを試験運転しておきたかった。
 同行した女性は私の活動に興味津々で、カメラマンを買って出てくれた。そう、夜の街に繰り出したマシンは現地の人々に大人気だったのだ。こんなに暑い国で、ニットや毛糸を見ることはそうそうないのかもしれない。これは何?と呼び止められたら、私は片言英語で必死にこのプロジェクトについて説明し、ニットを腕にはめてもらって写真を撮らせてもらった。歩いているとすぐに声をかけられるのでニットの長さが10センチ以上になることはなかった。肝心のマシンの調子は、なんとか持ちこたえたものの、やはり割り箸をきちんと固定する必要があったり他にもメンテナンスが必要。明日午前中に落ち着いて直そう。

 ナイトマーケットの隣、シェムリアップ最大の繁華街であるパブストリートに繰り出し、一杯飲んでから私たちは別れた。女性は今後の活動を応援してくれた。結局名前すら教えあわなかったけれど、こんな出会いがあるからひとり旅はいいものだ。
 ホテルに戻り、暗いベッドの上で明日の計画を立てる。明日は19時半には空港にいなければならない。2泊4日の弾丸旅だ。12時のチェックアウトまでマシンの修理と《トラベリビング》のニットを編もう。昼から3時間ほど街歩きしながら2つのプロジェクトを行い、15時からトンレサップ湖のクルーズツアーに参加し、空港へ行こう。このツアーは先ほどの女性ツアー客からオススメされたもの。東南アジア最大の湖と水上生活の様子に興味があったものの、遠いイメージがあって行く予定にしていなかった。しかし日本語ガイド付きのツアーが所要時間4時間とちょうど良く、ツアー当日の朝まで予約可だったため、先ほど急遽予約したのである。ちなみに、ツアーで行くほうが現地でトラブルに巻き込まれず安全とのこと。2つのプロジェクトに6時間充てるには、この暑い中体力的に難しいと感じていたし、方向音痴なことを考えるとあまり遠くまで歩くのは危険で時間を持て余してしまいそうだったので、ちょうどよかった。
 《トラベリビング》は通常編みくるむものを前にしてその場で編むのだが、今回は時間短縮のために事前に用意しておきたい。それに外は暑くてその場でひとつひとつ編むのは危険かもしれない。モチーフについて、今日1日過ごしてインスパイアされたのは、蓮の花とジャスミン、そして黄土色とも金色ともつかぬ色。2つの花は、チョグさんの解説では、カンボジアの人がお寺にお参りする際にお供えするものらしい。蓮の花には来世で幸せになれますように、ジャスミンの花には来世で可愛くなれますように、という願いが込められていて、日本人が神社やお寺でお参りする前に手と口を洗って清めるのと同じような意味合いもあるとのこと。なぜかこの話が心に残っていた。そして黄土色とも金色ともつかぬ色は、バスの車窓から見た街中にたくさんあった色だ。日本でいう祠や神棚のような位置付けなのか、街中の家や店でたくさん見た、アンコール・ワットの塔のような形をした豪華なオブジェの色。柵の先端にこの色の装飾が施されている場合もあった。偶然、この色に近しい色の毛糸を日本から持ってきてもいた。そういえば、チョグさんが着ていたガイドの制服の、女神アプサラの刺繍も可愛かったな。
 翌朝自然にすっきりと目が覚めた。まだ8時前だったと思う。カーテンもない6人部屋だったわけだけれど、疲れていれば案外ぐっすり眠れるものだな。他のベッドではまだ皆眠っているようだ。ゲストハウスに泊まるということはおそらく私より相当若い人たちだし、毎晩遅くまで屋上のプールやパブストリートで遊んでいるのだろう。日中はとてつもなく暑いこの地では、若者はより夜に活動的になるのだと思う。
 とりあえず着替えて顔を洗い、1階で朝食を摂ることにした。昨日美味しかったパンとオムレツのセットを注文。南国らしくバナナとスイカがついてきて、身体の中からフレッシュになれる。こちらのバナナはモンキーバナナで、味が濃厚だ。席に着くやいなや、背後から見知らぬ欧米の女の子に突然「プールはどこ?」と声をかけられた。こんなふうに面識がなくてもフランクに話しかけてくるところが日本人としてはびっくりしてしまう。そして今度は向かいの席。たまたま私は同じアジア人の前に座ったらしい。席に戻ってきた白髪のおじさんが「どこから来たの?」と話しかけてきた。彼は韓国人のギムさん。シェムリアップで韓国人向けのツアーガイドをやっている。お互い片言の英語で楽しく会話しながらパンを頬張った。アジア人の客はその空間に私たちだけだった。
 部屋に戻るとまだ他の宿泊者たちは寝ていた。部屋は暗いが電気をつけるのも悪く、ベッドの上のライトを頼りにまずはマシンの修復。穴に差さっただけの毛糸スタンドの割り箸を毛糸で土台にしっかり固定し、土台もマシン本体からずれないように割り箸の片割れで固定。割り箸、大活躍である。ついでに昨日購入したアンコール・ワットがデフォルメされすぎているステッカーをケースに貼ってみた。粘着力が悪いのかすぐに剥がれてしまったけど、今後はどこか行く度に、こうしてステッカーを貼っていこうかな。

 次に《トラベリビング》のニットを編む。昨日街中でたくさん見た金色に似た色の毛糸で、蓮の花とジャスミンの花を編み、いろんなところに仕掛けていこうかな。ネットで2つの花の編み方を検索して編んでみたがどちらも上手くいかない。蓮の花は大きすぎるし針の太さが糸に比べて太いこともあってだらしのない花になりそうだったので途中でやめてしまった。ジャスミンは、ジャスミン編みという、模様が星のように浮き出る編み方があったのでやってみたが、難解。そうこうしているうちにチェックアウトの時間が近づいてきたので、とりあえず適当なサイズの細編みの輪っかを1こ作り、急いでチェックアウトをした。外はギラギラ、今日も快晴。ホステルのエントランスで、スタッフの人に「これはなに?」と声をかけられた。プレゼンしている間、そばで客引きをしているトゥクトゥクドライバーたちもマシンに注目している。彼らにもプレゼントしたかったが、スタッフより一歩遅かった!バイバーイと言ってホステルを右に曲がった。

 時刻は12時過ぎ。夜はナイトマーケットで賑わっていた通りは人通りがほとんどなく、左側でレンガを崩す工事中の人々が目に入るほどだ。通りに面した飲食店の中もガランとしていて、店員さんが暇そうに外を眺めている。すれ違った人はおそらく100%、3秒間はこのマシンについて考えただろう。それくらい人が歩いていなかったし、実際に視線を感じながら私は歩いていた。同時に私は《トラベリビング》を実行できそうな場所もキョロキョロと探し、先ほど作った輪っかを設置していった。

 そのうちに、昨夜観たアプサラダンスの踊り子の頭の飾りをなにかに被せたくなってきた。あの形も街中で見かける祠と同じく、塔のような形をしていて独特だった。ちょうどお腹もすいてきたので視界に現れた現地料理のレストランに入った。客は欧米人のおじさんただ一人だったけれど、絶対美味しいという確信がなぜかあった。頼んだのは、《トラベリビング》も兼ねてボトル入りのアンコール・ビールと鶏肉のレモングラス炒め。カンボジアに来る前、現地料理は口に合わないと聞いていたのだがとんでもない!これまで食べてきたクメール料理は大概日本の料理に近い味だった。それにタイの酸っぱ辛いテイストもあって、食欲は大いに湧いた。
 レストランは家族経営で、幼い兄妹がマシンに興味を持ってくれた。特に妹の方は目がキラキラと輝いている。料理はやはり美味しく、ビールを飲みながらアプサラの踊り子の頭飾りを編んだ。装飾が盛られていて忠実に再現することは難しかったが、曲線を駆使してなんとか雰囲気は出たと思う。

植物で編まれたレストランの壁には、様々な国の言葉でレストランの感想が貼られていた。いや、つまようじのようなものが編目に差さり、それで固定されていた。「グッドシステムね」と言って私もアプサラの飾りを飾らせてもらった。1時間半ほど、随分長居させてもらった。

 外に出て、また知らない道を進んでみる。途中左に曲がってみた。遠くどこまでも続く道の両側に点々と店や屋台が並んでいるようだ。ただ、観光客が歩くような通りではないらしく、人はいない。こういう道こそ面白い、行ってみよう。道は例の赤茶色の土だった。10分ほど歩いてみたが特に何事もなく(いや、視線は感じていたが)店もなくなってきたので引き返すことにした。それにしても暑い。途中日陰で休憩していると、向かいの店からおじさんが飛び出してきた。「これは何?」
 素敵な柄の布を巻きスカートのようにして履いているおじさん。私が日本人と分かると知っている日本語を話してくれた。どうやら日本人の女の子の友達が何人かいるようだ。おじさんの店にはマンゴーとスイカが並んでいた。そういえば南国に来ているのにフルーツをあまりに食べていないし喉も渇いている。マンゴーが食べたくてお店に連れて行ってもらった。1kg1.75ドルくらい、大きなマンゴー3個だ。カットしてもらい、多少は涼しい店先で食べさせてもらった。まだ完熟前で硬かったけれど、美味しかった。スイカも一切れおまけしてくれ、これまた体を冷やしてくれた。おじさんも横で一緒にランチ。家族はハンモックに揺られたりお茶を飲んだりのんびり過ごしていた。私の被っている三角帽に入ってくる、可愛いおじさん。

 マンゴーは食べても食べても減らない。1個だけカットしてもらえばよかったな..。暑いし悪くなってしまいそうだ。そろそろホステルに戻ってクルーズツアーの迎えを待っていなければならない時刻にきた。たんまりあるマンゴーをリュックに詰めて、店を出た。マシンはここからまたスタートのはずだったが、このタイミングで修理箇所にガタが来ているらしく、うまく作動できなくなっていた。ツアー中は稼働しない予定だったしその後はすぐに空港でスタンドもバラさないといけない。カンボジアでの《旅するニットマシン》はこれにて終了としよう。スタンドと本体を固定していた毛糸を切って、プロジェクト終了。
 トンレサップツアーのガイドさんは、日本のお笑いが大好きな、通称石田さん。かなり面白く親切で、他のツアー客は20代の女の子二人組のみということもあり終始アットホームな雰囲気だった。ガイド見習いの現地男性もひとり同行していた。道中みんなが、カットしすぎてしまったマンゴーを食べてくれたので、無駄にせずに済んだ。
 トンレサップ湖は雨季前で水はコーヒー牛乳色。そんな湖で泳ぐ子供達の姿がたくましい。雨季には水はきれいな青色になるようだ。水深は1m。岸に立つ超高床式の家やマングローブの枝高くに吊るされた荷物が、雨季の水深の深さを想像させる。雨季には水深9mにもなるという。船乗り場からモーターボートでしばらく走ると、見渡す限りのコーヒー牛乳になった。とにかく広い。時々ものすごい水しぶきをあげながら、水上生活をしている人たちのボートが通る。30分くらい走っただろうか、やがて水辺に水色や青い色をした家がポツポツ見えたかと思うと、その数はすぐに無数になった。家だけでなく、学校、警察、レストランといったあらゆる機能が水上にある。住民が料理をしている姿も見えた。この湖には600種もの魚が住んでいて、カンボジアの食を支えている。
 私たちは水上レストランの屋上からサンセットを待った。あいにく雲に覆われてきれいな丸い夕日を見ることはできなかったが、旅情にふけるにはぴったりなシチュエーションだった。そして私は考えていた。水上生活というものが見たくてここにいるのだけれど、ただの好奇心から”観光”に来ていると言っては正直失礼な気持ちもあった。水上生活している人々にとって、それは普通の、日常のことだ。それを観光目的で毎日多くの外国人が見に来ている。どう思うのだろうか..。それに、水上生活は余儀なくされていると聞いたことがある。私は現地の子供たちにお金やものをせびられたりしなかったし、人々が悲しく辛い表情をしていると感じなかったけれども..。レストランのすぐそばを、たらいのようなものに乗って器用に漕ぐ幼い子供達が通った。

 18時50分。ホステルに戻ってすぐに空港行きのトゥクトゥクに乗り換える。今回のトゥクトゥクはサイドに格子がある安全度が少し高い車種。足の間に旅するニットマシンを挟んで、道中のガタガタに備える。さよならシェムリアップ。車から見える街の景色を目に焼き付けたかったけれど、最後まで《トラベリビング》をやりたくて、格子の1つを編んでみた。この作品は、プレゼントです、と言って残していった。

 搭乗まで時間があったので、マンゴスチンを食べて過ごした。日本ではなかなかお目にかかれないフルーツ。可愛い見た目、中身もニンニクみたい…。でもじゅわっと甘くて美味なのだ。そしてベンチの手すりに編むべくジャスミン編みに挑戦してみた。ユーチューブを参考にしてみたけどなかなか難しい。最終的な作品のサイズ感も想像できず、そのうちに搭乗開始となってしまった。

 そういえば、ポケットに忍ばせてあったアプサラダンスの頭飾り。成田空港に到着してそっとドアの手すりに被せてみたけれど、先端がひねくれてしまっていた。まるでカンボジアじゃなきゃやだ!とニットに言われているようだった。

2019.4.27 シェムリアップに愛を込めて

 

Wrapping By Knitting 編み包む

Artist Toko Shinoda’s words.
“Kimono wraps the human body.
Clothes contain the human body.
There is a difference in spirit.”

My work is to wrap by knitting.
I have been doing this work because I am interested in the communication skills of knitting to fit anything.
Is my spirit of Japanese involved in my unconsciousness?

美術家・篠田桃紅さんの言葉にハッとする。

わたしの作業は、編み包む
ニットの、どんな形状にもフィットするコミュニケーション能力に関心があってやっていることだけど、無意識化で日本人の精神が関係しているのだろうか。

Enku 円空

Influence from Enku
・Speed feeling by chisel running
・Prolific
・Trip
・Thought that all things have the Buddha nature
・Smile

円空からのインスピレーション
・作品に見る、ノミの走りによるスピード感
・そのスピードによる多作
・旅
・木に仏を彫るのではなく、木の中から仏を見つけるかのように彫る(山川草木悉皆成仏
という思想)
・微笑み

My Position in Art History 美術史にみる自分の位置

The Trend of the Art or Related Art or Artists I Am Influenced
・Performance Art
・Relational Art
・Medium Specificity
・Decoration
・Installation
・Socially Engaged Art
・Earth Work
・Site-Specific

・Shinro Ohtake
・Christo
・Tatsu Nishino

The History of Knitting and Threading in Japanese Art History 日本美術史における編み物、糸の歴史

Knitting was already made in the Jomon period. The oldest knitting of the Jomon period which is now found is the wooden knitting basket commonly known as Jomon Pochette, which was discovered at the Sannai-Maruyama site in Aomori Prefecture. Made from 4000 BC to 3000 BC. Height 13cm Bottom surface 7cm. Some of the walnut shells were left inside.
In the Nara period, there is a venerable article Blue Silk Cord used on 9 April 752 at the opening of the Great Buddha of Nara. Tying the thread ends to the long brush used when put in eyes to the Great Buddha, and gave people who gathered the other end of the thread to a merit of opening the eyes. A thin thread was used for watching the big Holy event, celebrating, and praying. A concept like a red thread existed in this era that connects the great Buddha and the people.

縄文時代にはすでに編み物が成されていた。現在、発見されている最も古い縄文時代の編み物は、青森県三内丸遺跡で発見された《木製編籠》通称、縄文ポシェット。紀元前4000年から紀元前3000年のもので高さ13cm底面7cm。中にはくるみの殻が残されていた。
奈良時代752年4月9日、奈良の大仏開眼会に際して使用された由緒ある品《縹縷》(はなだのる)。縷は糸を意味する。素材は絹で、藍染による縹色。大仏に瞳を点じた際に用いた長大な筆に縷を結び、縷のもう片端を参集した人々に持たせて、開眼の功徳にあずかった(日本史より)。一大神聖行事を皆で見守り、祝い、祈るということに細い糸が使われた。大仏と民衆ひとりひとりを繋ぐ、まるで赤い糸のような概念がこの時代に存在した。